蘆葉達磨
中国少林寺
風顛筆達磨図
達磨大師はインドの香至国の王子として生まれたお方です。のちに出家し、お釈迦様から28代目の教えを継がれて、中国に渡られました。梁の武帝との問答や、嵩山少林寺での面壁九年の話は特に有名です。その教えは慧可禅師に継がれのち日本に伝わり現在では世界中に広まっています。禅宗では初祖達磨大師と仰ぎますが、七転八起、面壁九年の不撓不屈の精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われ、信仰されています。
張り子の縁起だるまは、この寺から生まれました。
昔、大洪水で流れて来た大木で、一了行者が達磨大師の像を彫ってお堂に安置したのがこの寺の起こりです。
七草大祭 だるま市の賑わい
元禄十年(1696)厩橋城(前橋城)主酒井公が水戸光圀公にお願いして、中国僧心越禅師を迎え,禅の道場としてこのお寺が開かれました。
今から200年程前天明の飢饉の後、農民救済のため九代東嶽和尚は、心越禅師の描かれた達磨大師の図を手本に木型を作り、農家の副業に張り子だるまを作らせ、七草大祭に売らせたところ評判となり、縁起だるまの少林山と言われる今日の隆盛をみるに至りました。
開山心越禅師の描かれた
一筆だるまのお札
最初の一筆だるまに似た「坐禅だるま」が次第に繭の形に似た「繭型だるま」になり農家に広まる。蚕が当たり、農家が安泰ならば商人は大繁盛。
段々評判になるにつれて形が丸く、起上りやすくなり、現在の「縁起だるま」の形となり一般の人達にも広まって行きました。
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現在のだるま
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座禅だるま
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繭型のたて長だるま
養蚕農家が七転び八起きにあやかって,蚕の起き(目覚め―4度脱皮すること)がよくなるよう、大当たりの祈願するため,眼を 描かず願いを込めて片目(向かって右)に墨を入れました。
やがて蚕が良い繭を作ると、残った片目にも墨を入れて,大当たりと喜び、お祝いをしたのです。
達磨大師の不屈の精神にあやかり、目標(願い)を立てて、精進努力して無事達成するよう願いをかけます。




























